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川崎市麻生区古沢
写真:神社参道階段 |
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九郎明神社(くろうみょう・じんじゃ) 川崎市麻生区
□ ご鎮座地: 〒215-0026 神奈川県川崎市麻生区古沢497
□ 九郎明神社の御祭神は『九郎判官源義経』(くろうほうがんみなもとのよしつね)
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小田急多摩線、五月台駅下車、北口徒歩でおおよそ、8分です。 五力田の田園地帯を横切ると、古沢地区の住居が昔しの道沿いにありますので、その中間あたりの道をさらに駅とは反対側の小高い山の中腹にあります。
この古沢地区はいまでも「谷戸(やと)」と自然が残る、貴重な里山風景がひろがっています。
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九郎明神社正面の鳥居
立派な竹林の中にある神社は京都・鞍馬山と同じ氣が漂います |
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九郎明神社・由緒
現在の川崎市麻生区、多摩区には源義経の痕跡が各地で伝承されている。 その昔には山里の村々があっただけの寂しい地域であった。 平安時代末期(西暦1180年ごろ)源頼朝が平家を打倒せんとして挙兵した際、その頼朝の弟・義経は武蔵坊弁慶らとともに
奥州平泉から鎌倉へ馳せ参じた。
「昔源義経公が鎌倉へお通りの際途中にてどっぷりと日暮となり古沢地区の当部落へ一行の皆が一泊せられ、その頭首であった義経が礼として刀一振を村民に与へられ、それを鎮守に祭りしものなりと言ふ。」
読売ランド駅から徒歩6分のところ、川崎市高石地区・細山神明社のすぐ近くには「二枚橋・にまいばし」があります。 ここにも義経の伝説が形となって残っています。
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九郎明神社・その他の御祭神:
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その他の祭神:
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宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
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菅原道真(すがわらのみちざね)
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伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
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九郎明神社・御祭神の説明:
主御祭神『九郎判官源義経』:
義経の若いころは牛若丸(うしわかまる)と呼ばれました。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げるとそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、最大の功労者となった。 しかし、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行によって怒りを買い、このことに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
宇迦之御魂神とは平たく言えば「お稲荷さん」のことです。神名の「ウカ」は穀物・食物の意味であり、同じ意味の「ウケ」「ケ」を名前に持つ食物の女神。
菅原道真(すがわらのみちざね)
学問の神様といわれています。 天神さん、天満宮のご祭神となっています。
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
日本神話の国産みで登場する男神。
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九郎明神社・社殿
九郎明神社の社殿はこじんまりと小さいです。 竹林の中で昼間でも暗いところです。
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九郎明神社の社殿はこのような竹林の中です。
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九郎明神社・社殿の左横にあるお稲荷さんです。
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社殿の鈴・お賽銭箱はありません
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九郎明神社 古沢会館・兼・神社社務所
九郎明神社の参道、鳥居に向かって右側に「古沢会館」ならびに「社務所」という看板がかかっている建物があります。 ここでは「古沢町内会」の会合、さまざまな地域の活動の拠点のようです。
立派な古沢会館、社務所
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牛若丸(うしわかまる)と鞍馬
義経といえば、京都の鞍馬山です。 牛若(うしわか)は源義朝と母(常盤御前)の間に生まれた「今若・乙若・牛若」のひとり。義朝の八番目の男子ですから八男にあたります。 ところが、平治の乱にて父・義朝を失ったあたりから、運命の不思議な扉が開きます。 お母さんにあたる・常盤御前とともに、牛若もが平氏平宗清に捕らえられる。
平氏にとって将来の反乱要素となる「今若・乙若・牛若」は、常盤美しかったことで清盛の妾(めかけ)となることで延命し、三兄弟別々に各地の寺に幽閉されることになります。
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鞍馬山の鞍馬天狗
その中で一番幼かった牛若が幽閉されたのがこの鞍馬寺です(当時6歳)。鞍馬寺で稚児となった牛若は、遮那王(しゃなおう)と命名され、僧侶となるべく10年間修行を行いました。
そんな鞍馬寺での厳しい修行と並行して、鞍馬山に住む天狗「鞍馬天狗」から、武芸を習ったというのは有名な話です。
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鞍馬山・義経の背くらべ石
義経の背比べ石 おおよそ140センチほどです。 牛若丸、平家が父の仇であることを知った牛若はいよいよ、鞍馬山を後にします。その際、名残を惜しんで、この石と背比べをしたと伝承されています。 幼少のころから、親と離されて孤独でさびしい生活を送った牛若丸は自然がともだちだったのです。
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鞍馬山・一番標高が高いところ
参道(山道)頂上ですので、登りはここで終わり、後は下り坂です。
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九郎明神社は古沢地区にあります(麻生の里山です) furusawa
九郎明神社のある古沢地区、このあたりは丘陵地に挟まれた
“谷戸(やと)”で、里山の原風景が残されているところ。 古沢の山へ一歩入ると、一般の人はめったに訪れない現在の秘境の赴きがあります。 そこはまるで大自然の八百の神の世界・別世界が広がっています。
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古沢の山の上に建っている「新百合ヶ丘総合病院」、駐車場よこの歩道をさらに山のほうへ進むと高圧鉄塔を越えて古沢地区へ入ります。 以下の
四点の写真は古沢地区の山・南西斜面に広がる風景です。
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(写真をクリックすると、より大きな写真に展開します・撮影:平成28年2月2日)
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古沢地区・里山の山道(車でははいれません) |
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里山の畑と山林の境目 |
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古沢地区・里山の歩道 |
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長い竹林を抜けると、明るい里山の風景が広がっていました |
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九郎明神社へのアクセス
九郎明神社へは「小田急・多摩線」の「五月台」(新百合ヶ丘から一つ目)の駅が一番のもより駅となります。 五月台駅からおおよそ、徒歩8分ほどです。 もしくは、小田急線「新百合ヶ丘」からも徒歩で行くことができます。
五力田の家並みの道で「九郎明神社・入り口」というカンバンを見つけてください。 このカンバンからさらに、40メータほどで神社に行くことができます。
ちょっと、分りにくいところと思いますので、地元の人がいたら是非聞いてみてくださいね。 親切に教えてくれるはずです。
(注意:現地には駐車場がありません、車は五月台駅ちかくに数箇所がありますので、ご利用ください)
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九郎明神社・グーグルマップより
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九郎明神社・動画(YouTbe)
ペンタックスの小さな、デジカメで撮った動画を2009年にアップしたものです。 冬の時期だったので、寒々しい感じですが、現地は自然の息吹が感じられる素敵なところです。、
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九郎明神社の祭神の考察:
次の文は、このウェブサイトを構築したおかちゃんの考察です。 多分に個人的な思考が入っているために、あくまでもご参考として、ここに述べてみたいと思います。
疑問は九郎明神社の祭神について、主祭神と言われている神社の名前「九郎明判官義経」の名前が明確に表示されていないことです。 これはどうしてなのでしょうヵ?
神社の看板にも祭神名は「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」「菅原道真(すがわらのみちざね)」「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」の三神であって、ようやく、まるで付け足したような形で「義経」の名前が最後にちょこっと書かれている程度です。
歴史を省みてみると、義経は時の権力者の源頼朝と対峙することになり、結果的には頼朝によって世を去ることになってしまいます。 このような、義経を村の鎮守様の祭神として祀ることがおおっぴらにはできなかったことは容易に理解できることです。
おそらく、村人達は永い間「九郎」の名前は表立っては出すことができなかったのではないでしょうか。
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川崎市・麻生区(百合丘、新百合ヶ丘、柿生地区)ならびに近郊の神社
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神社に戻る
平成21年2月1日作成 更新平成27年10月28日
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