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写真:住吉神社殿と鬼瓦
平成27年4月23日撮影 |
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住吉神社(すみよし・じんじゃ)・神戸市西区 押部谷
御鎮座地 :〒651-2207 兵庫県神戸市西区押部谷町細田302(おしべだにまち・ほそだ)
東経135度の子午線を淡路島方面から北上すると、山と谷がつぎつぎと現れます。 昔から、里に人々が住んだのは、「谷」の地域。 一番目の谷が「伊川谷(いかわだに)」、二番目の谷が「櫨谷(はぜたに)」そして三番目がこの「住吉神社の御鎮座地」である「押部谷(おしべだに)」です。
東経135度の子午線から数百メータ、東側に位置しております。
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住吉神社の横・明石川
住吉神社のご鎮座地を訪れますと、神社のすぐ横に大きな川が流れていることに気がつきます、これが二級河川「明石川」です。 神戸市西区押部谷町木幡の木幡駅の南で木見川と木津川が合流し明石川に平野町をへて、玉津町で伊川と合流し、明石市東部で播磨灘に注ぐ流路延長
26キロメータ、流域面積 126.7平方キロメータになります。 住吉神社の横を通り、しばらく行くと、国道175線に沿って流れます。
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住吉神社のすぐ横には清流「明石川」が流れています
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明石川から神社を見上げると、社殿、樹木が輝いています |
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住吉神社・鳥居にある綱が立派です(明石川の菜の花の黄色越しに
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住吉神社は天正七年六月二十五日(1579年)に羽柴秀吉の三木別所攻めの兵火に遭い、社殿を焼失したが、正保四年(1647年)、社殿の復興が成り、再び本殿に遷座しました。
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住吉神社・御蔡神
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第一本殿: 底筒男命 (そこつつのおのみこと)
第二本殿: 中筒男命 (なかつつのおのみこと)
第三本殿: 表筒男命 (おもてつつのおのみこと)
第四本殿: 氣長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)
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住吉神社の御蔡神の底筒男命、中筒男命、表筒男命とは:
日本神話に登場する航海の神で,住吉大神の1柱。 伊奘諾尊が,黄泉の国の穢れを清めるため,筑紫の日向の橘の小戸の檍原で禊をして,水底で身をすすいだときに出現。 このとき,水中では中筒男命が,水上では表筒男命が現れた。この3柱の筒男神が住吉大神であり,住吉大社の3座の祭神である。 3神は,神功皇后に神懸りして三韓出兵を指示,また皇后の男子(応神天皇)出産を予言する。
皇后の新羅征討に際しては,この神の和魂は皇后の守護を,荒魂は軍船の先導をした。新羅平定後,荒魂を穴門の山田邑(下関市一の宮町の住吉神社)に,和魂を摂津の住吉郡(大阪の住吉大社)に祭ったという。 神功皇后と,その新羅征討には極めてかかわりが深いといえる。
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住吉神社の氣長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)とは:
氣長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)は神功皇后(じんぐうこうごう、成務40年
- 神功69年4月17日)は、仲哀天皇の皇后。
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住吉神社・由緒
当神社は今を遡る千二百三十年の昔 第四十六代孝謙天皇の御代天平勝宝六年旧暦の九月十三日に川向いの元住吉山に観請せしに創まる。 永禄二年六月二十九日「四百二十五年前に現在地に遷座されました。
その後二十年過ぎて住吉神社は天正七年六月二十五日(1579年)に羽柴秀吉の三木別所攻めの兵火にかかり神社建物は焼失いたしました。
安土桃山時代の末期文禄三年九月十三日には高和の社地に御旅所を創立し 江戸時代初期の元和五年(1619年)住吉神社の朱印領は十石と記されてあります。 正保四年(1647年)、の八月に四別棟を再建し享保十九年四月本殿覆を建立し明治七年二月には兵庫県明石郡の郷社に列せられました格式の高い神社です。
大正八年に境内敷地を拡張し昭和五十六年六月には参集殿を建設し現在に至っております。
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住吉神社へのアクセス:
○ 神戸電鉄・押部谷駅 徒歩31分
○ 神戸電鉄・緑ヶ丘駅 徒歩29分
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東経135度にご縁があるその他の神社
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平成27年4月25日 更新
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