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大阪・阿倍野区 |
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安倍晴明神社・大阪市阿倍野区
安部晴明神社といえば、京都の堀川通り一条戻橋のところにあるのが有名です。
もうひとつ、忘れてはいけない安部安部晴明神社が大阪の阿倍野区にあるんです。こちらは、安倍晴明の生誕の地といわれ、晴明誕生の秘話が伝えられています。
一条天皇の命により 寛弘2年(1005年)安倍晴明生誕の地に創建されたと伝えれております。 現在は大阪市阿倍野の住宅街のど真ん中にある神社です。
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安部晴明神社・大阪阿倍野区 (撮影:平成29年2月3日)
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安部晴明神社・御鎮座地: 大阪市阿倍野区阿倍野元町5−16
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大阪の古き良き町並みがありました。 突然昭和30年代にタイムスリップした感があります。
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筋を一進むと阪堺の路面電車が走っている。
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安倍晴明と大阪阿倍野
安倍晴明公は古代豪族安倍氏の出で、伝説では平安時代の 天慶7年(西暦944年)3月辰の刻に阿倍野に誕生せられ、又一説では延喜21年(西暦921年)ともいわれている。
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幼名は「安倍童子」、資性英明で学問を好み、京都に上がり陰陽家賀茂忠行とその子息保憲に師事し、陰陽推算の陰陽道を修め、天文博士、陰陽頭(オンミョウカミ)、播磨守等を歴任して、従四位上に叙せられました。
左の画像をクリックで大きなサイズをゲットできます。
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阿倍晴明公・掛軸 阿倍晴明神社・所蔵
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安倍晴明公は天文を見てあらゆる事を占い、花山天皇の退位を予知したり、大江山の鬼退治を指導した事は有名で、百占奇中神の如しと称せられました。 また職神(一種の精霊)を自在に駆使したといわれ、そうして説話が「今昔物語」等に伝えられています。 子孫は土御門家を称し、代々陰陽頭となり江戸時代でも幕末で造られた暦は一旦朝廷に送られ、土御門家が暦注吉凶を加算した上で領布された。
晴明公は寛弘2年(西暦1005年)、9月26年京都の堀川邸で亡くなり、(享年62歳、系図では85歳)。
堀川邸跡(京都市上京区堀川通一条上ル)は現在晴明神社と成っている。
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阿倍晴明は予言で1,000年後にまた蘇る!
晴明は西暦1005年に亡くなりましたが、生前に「私は1,000年後にまたこの世に蘇る」と言っていたそうです。 その通りに実現。 平成17年9月26日に安倍晴明、一千年期の祭典が行われ晴明の等身大銅像除幕式が挙行されたのです。
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神社に入ってすぐ右側に銅像(撮影平成17年9月30日) |
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安倍晴明公の等身大銅像 |
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現在の晴明公の像 (撮影:平成29年2月3日)
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阿倍晴明の生誕地
阿倍晴明神社のあるこの地は晴明の生誕地です。 そこに次のようなお話が伝えられております。
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むかし、阿倍野村の安倍保名(あべのやすな)が信太山の信田明神に参詣に行きました。 神社の境内で休憩しているとき、狩人に追われた一匹の白狐が保名の足元に隠れました。 狩に来ていたのは、騎馬の武士とその家来たちで、白狐をかばう保名は彼らと争いますが、多勢に無勢で保名は傷を負ってしまいます。
争いの最中に白狐は姿を消しますが、従者とはぐれた保名は帰途、美しい村娘の葛の葉(くずのは)に出会い、手厚く介抱されました。 阿倍野村に帰った保名は受けた傷がともで病の床についてしまいました。 と、ある日忘れかけていた葛の葉が看病に現れました。
実は葛の葉は人間に姿を変えた白狐ですが、保名と葛の葉は愛情が通じ合い、結婚して子供の「安倍童子」が誕生しました。幸せな月日が流れ、ある晴れた秋の昼下がり、童子を寝かしつけていた葛の葉は、うつらうつらまどろんでいるうち、つい気がゆるんだのか、狐の身体の一部を表してしまいました。
子供が自分の姿を見て、おびえて泣いていたのを知った葛の葉は、自分の正体が露見するのをおそれ、泣く泣く分かれる決心をします。
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葛の葉がいよいよ家を出るとき、縁側の障子に:
「恋しくば尋ねきてみよ和泉なる信田の森のうらみ葛の葉」
の一首を書き残しました。 |
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阿倍晴明の母・葛の葉姫
阿倍晴明の超越した霊力、超能力はどのように身につけたのでしょうか? その根拠のひとつに彼の誕生に纏わる秘話が、彼の母親、葛の葉姫のことです。
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童子は父の(保名)とともに母狐を探し求めて森をさまよううちに、母狐が現れて童子に霊力を授けた。 左の図は
晴明の母といわれている「葛の葉姫」、くずはのひめ。 阿倍童子は後の安倍晴明ですが、少年期に京都に出て天分、暦法。占術などを修めます。 師の推挙で陰陽師として宮中に出仕し、天変地異などを予知したり、宮中の大切な行事の日程や方法を占います。
また、百鬼夜行といわれた時代、大江山の鬼退治など、都の人々の不安の解消に活躍いたしました。 今昔物語は晴明の予見力を:
「その占いは神のごとし」
と書いております。
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葛の葉姫・くずはのひめ |
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安倍晴明神社内 【占いコーナー】
よく見ると神社、社務所よこには別室があり、その壁にはつぎのように「占いコーナー」とあります。 各曜日ごとに担当の占い師さんがおり、ここで相談事ができて良心的な料金となっています。
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占いコーナー
安倍晴明神社のご祭神、安倍晴明公は占いの神様として信仰されております。神社境内の社務所内に占いの先生による「占相談」コーナーを設けております。
占いはそれぞれ経験豊かな先生が担当し、誠意を以てご相談に応じます。 相談料は2,000円からで占いの内容により違いますので、受付時に担当の先生に直接ご相談下さい。
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※相性占いやご家族のご相談は1名づつ占いますので各1件と数えます。
※相談料は2,000円からとなります。
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占いをしていただくには、より具体的な質問を用意をしてください。
たとえば、引越しをする予定なのだけど、
- 引越しは Aアパート(住所A)
- Bアパート(住所B)
どちらが良いでしょうか? もしくは、転職を考えているのですが、いつごろが良いでしょうか? とか、、
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安倍晴明公の墓所は京都嵐山
先日、京都の嵐山を散策していたときに、道に迷い偶然、安倍晴明の墓所に出会いました。
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平安時代活躍した安倍晴明は西暦1005年に85歳で亡くなり、嵯峨の地に葬られたと伝えらています。 現在の墓所は 京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町7-14にあります。
現在になっても、安倍晴明の墓所は綺麗にお守りされていることに感激いたしました。
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安倍晴明神社の飛び地 右京区嵯峨天龍寺角倉町7-14
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安倍晴明公・蘇る日「神幸祭」
京都の安倍晴明神社の「神幸祭」は毎年、秋分の日に行われているお祭りです。
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神幸祭とは「神が巡幸する祭」の略です。年に一度晴明がこの地に舞い降りると言われています。
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昔は晴明の命日(旧暦9月26日)に行われる神幸祭(しんこうさい)の絵図です。
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安倍晴明神社へのアクセス
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阿倍晴明神社へのアクセスは:
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地下鉄御堂筋線、昭和町駅下車 徒歩約15分
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阪堺上町線、東天下茶屋下車 徒歩3分
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